まち居住研究会ブログ-大久保まち風景

『大久保まち風景』では住宅、居住、コミュニティといった視 点で変わり行く大久保を写真で紹介します。

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都内放射線量測定地と戸山ヶ原

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 未曽有の東日本大震災発生から、本日、5月11日で2ヶ月となります。死者は約1万5千人、行方不明者は未だ1万人近くおられます。ご冥福を心よりお祈り致します。

 福島第1原発は未だ収束の目途がたたず、各地で観測された最大放射線量は毎日、新聞に掲載されています。

 東京都の放射線量は、新宿区百人町3丁目にある東京都健康安全研究センターで測定しています。本日の測定結果については「現時点においては健康に影響を与える数値ではありませんので、ご安心ください」とあります。

 次の写真は、数十年前に大久保1丁目上空から北側方向を撮った航空写真(新大久保商店街振興組合提供)で、真中は大久保、左端上が都健康安全研究センターのある百人町、右端が戸山町です。右端縦の大通りは明治通り、中程横の通りは大久保通りです。

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 写真の上部4分の1は戦前から敗戦まで戸山ヶ原と呼ばれ、トンネル式の300メートル射撃場跡が見られます。

 現在都立戸山公園のある場所は、鎌倉幕府初代侍所別当和田義盛の領地で、和田村と外山(とやま)村に属し、「和田外山」と呼ばれていました。源頼朝が源氏の勢揃いを行った処と伝えられています。江戸時代は尾張徳川家の下屋敷となり「外山山荘」と呼ばれ、明治になって陸軍の用地となり、陸軍戸山学校が出来、広大な北西部が射撃場や練兵場となって戸山ヶ原と呼ばれていました。

 明治、大正の地図にはそれぞれ大久保村、大久保町と表記され、「戸山ヶ原」の文字が出てくるのは、昭和12年の地図になってからとのことです。

 四百年程前、徳川家康が江戸城整備とともに鉄砲隊百人組が現在の百人町一帯に定住して以来、百人町と呼ばれるようになりました。大きな大久保村に包含される百人町、つまり「大久保百人町」と呼ばれるようになったようです。

 写真の左端上が戸山ヶ原の西側になり、ここに陸軍技術本部と科学研究所があり、現在百人町の都健康安全研究センター、国立科学博物館分館、社会保険中央総合病院があります。

 写真の中程の射撃場、練兵場のあった処は、現在、戸山公園(大久保地区)、早稲田大学戸山キャンパス、公務員・都営住宅があります。

 写真の右端、明治通りより右の東側には写真の中にはありませんが陸軍戸山学校があり、現在は戸山町の戸山公園(箱根山地区)、都営住宅(旧戸山ハイツ)、国立国際医療センター、国立感染研究所、障害者福祉センター、学習院女子大学等があります。

 以上の通りで、百人町、大久保と戸山町に跨る戸山ヶ原の広大さが分かります。

 新大久保駅から都健康安全研究センターまでの間を、写真でご案内しましょう。

 JR新大久保駅     駅前の大久保通りを渡った戸山ヶ原の入口になる百人町文化通り

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  文化通りを真直ぐ進むと、次の横断歩道を渡った右側にシェークスピア劇がよく公演された東京グローブ座があります。当地はつつじの里と言われており、今が盛りのつつじの生垣が綺麗です。
 
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 文化通りを左に曲がると右側に社会保険中央総合病院があり、通り両側の銀杏並木は秋の黄葉が見事です。病院前の通りは韓流店で賑う大久保通りとは違い、休日の車、人通りは殆ど見られません。

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 次の角を右に曲がると間もなく右側に国立科学博物館分館があります。左の門の恐竜は博物館に相応しい迫力があります。

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 その左隣が都健康安全研究センターセンターです。

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 都健康安全研究センターは、都民の健康を守るための科学的、技術的拠点として食品、医薬品、生活環境、飲料水等の日々の安全確保と感染症など新たな健康危機への備えの両面から、試験検査、調査研究、研修指導、公衆衛生情報の解析・提供及び監視指導を行っています。

 健康危機発生に迅速かつ機動的に対応するため、新館を建設して分散している機能を集約し、安全性の高い施設整備を行うことになり、平成23年度末の竣工を目指しているとのことです。

 
 

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