皆中稲荷神社と鉄砲組百人隊
JR新大久保駅の近くにある皆中稲荷神社は、正月風景で紹介しました
が、徳川幕府鉄砲組百人隊と深い関係があります。
徳川幕府が鉄砲組百人隊をこの地に駐屯させてから、町名も百人町と名付けられました。
当時、鉄砲組与力が射撃に精魂を傾けていましたが中々当たらず、一夜煩悶のまま眠り入ったところ、稲荷之大神が夢枕に立たれ霊符を示されました。
翌朝不可解なまま社頭にお参りを済ませ、射撃を試みたところ百発百中、見事な進境に驚いたとのことです。これを見た旗本の士が競って霊符を受け射撃したところ、悉く的中したと云われます。
この話が近郷近在に伝わり、唯射撃のみでなく様々な願い事をする参詣者が日増しに多くなり、世人はこの神社を「皆中(みなあたる)の稲荷」と称えるようになり、それ以後「皆中稲荷神社」という名で呼ばれるようになりました。
爾来、報恩感謝のために約百年間に亘り「鉄砲組百人隊出陣式」が奉納され、一時中止されましたが秋季大例祭に「出陣式」の行列が復活し、現在まで隔年毎に執り行われております。
参考資料 「皆中稲荷神社しおり」
昨年9月23日の「鉄砲組百人隊出陣」の模様を紹介します。
皆中稲荷神社境内での出陣式
いよいよ鉄砲組の出陣、神社周辺地域を行列巡回し、7会場で発射、
合戦演武を行った。
この度は、熊本県細川藩葦北鉄砲隊の友情出陣もあり、百人隊出陣
に一層の花を添えた。
あまりの轟音に耳をふさぐ。 背負っている赤い箱が箪笥と称
する弾丸容器。
四百年のタイムトンネルを抜け出した武者行列がパチンコ店、100円ストアの前を通るのが面白い。
鉄砲組百人隊出陣は、西戸山野球場での合戦演武、発射で締め括った。